本題に入ります
私という人間を解き明かす
私という人間のすべてをつらぬくわけではないのですが、私という人間のかなり多くの部分にあてはまる、私の発達障害の一番の症状、それが「見ただけ聞いただけでわかる能力に欠ける、考えなくてもわかる能力に欠ける、考えなくても察したり読み取ることができる能力に欠ける、観察する能力に欠ける」ことだと、考えに考え抜いてわかりました。
簡単にいうと「そんなこと考えなくてもわかるじゃーん」の「考えなくてもわかる」ということが苦手なのです。
それこそ、考えなくてもわかる、という能力がまともにある方ならば、検査結果や過去の経験などをもとに、大して思考を凝らさなくても、すぐに答えにたどりついていたと思います。しかし、私にはこの能力が欠けている(完全に欠けているわけではないと思いますが、一般の方々と比べれば、著しく欠けていると思います)ため、考えに考え抜かないと、このような答えが出せなかったのです。
私は今まで、考える力が弱いと思って生きてきました(ただし、それを自覚できたのは後述する理由から、ここ最近のことです)が、考える能力、考えてわかる能力は意外とあったのです。
私が間違えていたこと
これらのことを発見できて、私という人間の人生が上手く行かなかった理由が、はっきりとわかりました。言い方を変えると、何がダメだったのかを、ついに解き明かせたのです。
それが何かというと「みんなと同じようにできない(考えなくてもわかる、ということができない)からといって、どうせそんな低能な私が一生懸命頭を働かせてもムダと、考えることを部分的にとはいえ放棄してしまった」ことです。
さらにいけなかったのが、「考えてもムダ、と考えたことを忘れ去ってしまったうえに、一丁前に神だのみだけはする」ようになってしまったのです。
さらにさらに「私の中に正しく備わっていた、考える、という定義を、考える=神だのみする、念じる、お祈りする、ということにすり替えてしまった」のです。
それは、私が幼稚園に入って少し経った頃、つまり5歳の頃でした。
5歳の頃から、34歳になるまでの約29年間、事実上、私は神だのみ中心で生活してきたのです。
考えることを、部分的にとはいえ放棄してしまっていた私。仮に神様がいたとしても、そんな私を救ってくれるわけがありません。
ちゃんと「考える」ことを始めたら
でも、そんな私でも改心することが、幸いなことに間に合いました。ちゃんと「考える」ということを、34歳になってから始めたのです。
すると、若い時にはちっとも上手く行かなかった仕事で、きっちりと結果を残せるようになったのです。私の周りに人も集まり始めるようになりました。若い時に気がつかなかったことに気がつくようにもなりました。
なにより、「運」が良くなりました。厳密には、私に降りかかってくる出来事というのは、若い頃(考えることを放棄していた頃)と大して変わりないのでしょうが、私自身の「運」に対する自覚が変わりました。「私は運に恵まれていない人間だ」という意識が「私は運に恵まれている人間だ」という意識に変わったのです。
今でも、日々の中でツラいことはたくさんあります。でも今の私は、それらのツラいことに、ちゃんと考えて向き合うことができるようになりました。
今後もこれを続けたいと思います。
元・青果店店員の、青果お役立ち情報!

今回は「バナナの保存方法(常温または冷蔵)」についてです。
バナナは夏場以外は、常温にそのまま置いておいて問題ありません。比較的青みの残っているバナナなら、それでも1週間程度持ってしまいます。
夏場や、少しでも長くバナナを保存したい場合は、「バナナを一本ずつバラして(皮はむかなくても良いです)、一本ずつラップで包み、冷蔵庫の野菜室で保存」します。
そうすると、2~3週間持ちます。
ちなみに、今後バナナについて詳しく書いた記事を投稿する予定です。記事を投稿出来た時には、リンクをはります!